はじめての海外旅行でやってきた1986年の香港。学芸員Ｋの宿泊した油麻地の今はなきフォーチュナ・ホテルから歩いて数分のところに、映画会社ゴールデンハーベスト直営の大映画館、嘉禾戲院（ゴールデンハーベスト･シアター）がありました。ここで学芸員Ｋはチョウ･ユンファ主演の嘉禾作品『奇縁』を観ました。香港の映画館で地元の人々にまぎれこんで映画を観るのは新鮮な体験でしたが、それ以上に 「ゴールデンハーベスト映画を 嘉禾戲院 で観る」 という出来事が学芸員Ｋにとってはとても大きな感動でした。
そして、映画館を出て、ふと、思いました。「ゴールデンハーベストのスタジオに行くことはできないだろうか」。 ブルース･リーやジャッキー･チェンはじめ、数々の作品を生み出してきた、あのゴールデンハーベストの撮影所に行けないものか？
思い立ったが吉日とは言いますが、１日おいた翌日。 香港初上陸から７日目の、1986年3月7日。当時つけた旅日誌が今でもあります、そこには 「午前11時過ぎ」 と記されています。 学芸員Ｋは、午前11時過ぎ、香港島セントラルの高層ビル、ジャーディンハウスに当時あった香港観光協会（現･香港政府観光局）のインフォメーションセンターに行きました。
応対してくれた観光局のスタッフに、学芸員Ｋは 「ゴールデンハーベストの撮影所に行きたいのですが……」、と言いました。すると観光局のスタッフは「ゴールデンハーベストのスタジオは観光地ではないので入るのは難しいと思います。電話番号だったらお教えすることはできます」 と言いました。学芸員Ｋは電話番号を書いたメモをスタッフからもらいました。
すぐに油麻地のフォーチュナ・ホテルに戻り、正午過ぎ、メモを見てさっそく部屋からゴールデンハーベストに電話しました。女性が電話に出ました。こちらのブロークンでしかも意気込んだ鬼気迫る英語に向こうは困ったのか、「ちょっと待ってください」 と言って日本語ができる男の人に代わりました。
「なんでしょうか？」
「すみません、私はゴールデンハーベストのファンなんですが、スタジオの中に入れませんか？」
「うーん、それは無理です。できません」
「そうですか……」
「入ることはできません」
「そうですか……（やっぱりダメか）。 それでは、門の前だけでもいいです。スタジオの門の前で
記念に写真を撮りたいのですが、それはだめでしょうか」
本気でそう思いました。記念に門の前で写真を撮るだけ。でも、いま考えたら、門の前は
公道なのだから外から撮る分には許可をもらう必要などなかったのですが。
「…うーん」
「だめでしょうか。記念に門の前でだけでも」
「…うーん……そこまで言うんだったら………来ますか。 でも、少しだけ。少しだけですよ。
受付に来たら、私のことを呼んでください。私の名前は Ｔ といいます」
「（えっ!?） ありがとうございます！ ではこれから行きます !!」
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あれから20年が過ぎても、このときの電話でのやりとりは鮮明に覚えています。
とにかくスタジオに行くことになりました。観光協会では電話番号とともに、スタジオの住所も書いてもらったのでそれをポケットに突っ込んでホテルを出ました。観光協会のスタッフが言うには、スタジオへ行くならタクシーがいい、でも、お金がかかるから、地下鉄でダイヤモンドヒルまで行って、そこからタクシーに乗るのがいいでしょう。とのこと。観光協会のスタッフの説明は懇切丁寧で親切でした。ということでホテル最寄り駅の佐敦からダイヤモンドヒルまで地下鉄で行きました。
地下鉄駅から地上に出て驚きました。目の前にいきなり広がるバラックの海。香港有数のスラム街でした。広い道に出て、タクシーをつかまえようとしました。が、来るタクシーのすべてが乗車拒否。たまたまそこがタクシー乗降禁止区域だったことを後に知るのですが、そのときはそんなこと知らなかった。おおいにヘコミながらも場所を移してやっとのことでタクシーを拾い、運転手に 「斧山道８ 嘉禾影業公司」 と書いたメモを見せました。運転手はそれを見て無言のまま前方に向き直り、タクシーは走り出しました。
窓の外を流れる、街中とは違う殺風景でホコリっぽい景色を見ながら、しばし悩みました。 「着いたら門からどうやって中に入ろうか、守衛に止められたらなんて説明しよう」。
しかし、なんのことはない、タクシーは、学芸員Ｋが 「あ、これがスタジオか？」と気づくより早く当たり前のように門をすっとくぐってしまい、学芸員Ｋはノーチェックでタクシーごと撮影所の敷地内に入りました。
夢にまで見たゴールデンハーベスト・スタジオです。いや、実のところ、夢には見ませんでした。なぜなら香港に来るまで、いや、来てからもなお、ほんのきのうまでは、ゴールデンハーベスト・スタジオに行こうなどとは考えもしなかったのですから。香港に来て香港の映画館で映画を観て、きのう、ふと、「ゴールデンハーベスト・スタジオに行ってみようかな」 と思いついたのがキッカケだったのです。
とにかくやって来ました。レイモンド･チョウが率いる香港映画の総本山、夢の工房、ゴールデンハーベスト・スタジオです。英文正式名：ゴールデン･スタジオ・リミテッド Golden
Studios ltd.,、中文名はその名も 「嘉禾製片廠」 です。
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